第4級アマチュア無線技士受験記録

2024年1月18日

(注:この文章は2001年、このサイトが別のURLで初めてオープンしたときに掲載したものです。その後、試験の内容や実施方法が変わっています。過去の資料として今回、このサイトに掲載しますので、これから受験なさる方は最新の情報を収集なさってください)

4級の受験勉強に必要な
ものは本当にこれだけ!

主に勉強した期間: 1999年12月~2000年1月 約1ヶ月半

Y先生の口車に乗る!

私が昔、非常勤講師(英語なんぞを教えておりました)をしていたある工学系の専門学校の先生に、Y氏がいらっしゃいました。Y先生は実は無線の世界ではとても有名な方で、プロの無線関係の著作のたくさんある方です。別名「電波受験の神様」とか「電波受験界のカリスマ教師」とも呼ばれています。その彼が、アマチュア向けの問題集を書かれ、私にプレゼントしてくださったのですが、私自身はそのころはアマチュア無線に興味がなく、それっきりになっていました。

実は、10数年以上も前、第4級のアマチュア無線技士(当時は電話級と言っていたと思います)の試験を一度受けてみたことがあったのですが、そのころは勉強方法もわからず、その試験結果も完敗で、以来、無線からは心理的にもバリアが出来て遠ざかっていました。

ところが、1999年、初冬のある日。久しぶりにそのY先生(とイニシャルで伏せ字にしても上記の本の著者ですから、バレバレ!?)と近所の居酒屋(「まつき」という名前の素敵なお店でした)で話していたら、「受けなよ、4級はとにかく過去の問題とその答えを覚えればいいんだから。それに今は毎月即日に結果がわかる試験も行われているよ。」とのこと。短波放送を聞いて育った関係で、ラジオについてはやや知識はある(「アンテナ」とか「アース」という言葉を知っている程度……ほんとに言葉だけ)ものの、私は極端な理系音痴の工学嫌い。やや懐疑的な気分でいると、「それでも、大丈夫。絶対受かるから!」口のうまいY先生にすっかり乗せられて、ビールの大ジョッキを3杯あけるころには、すっかりその気になってしまいました。

インターネットで日本無線協会のホームページを調べてみると確かに東京会場では毎月1回(ただし午前と午後の2回チャンスがあります)、その日に申し込みをし、受験し、結果もわかるという便利な試験が行われています。昔受けたときには、たしか相当前に申し込みをし、結果がわかったのも随分後になってからでした。行政改革や規制緩和の良い面はこういうところに出ているんですね(と昨今の政治をちょっとだけホメる……。ホントは頭にくることばかりだけれど)。

ねらいを2000年1月6日の日曜日に定め、いざ、勉強開始です。

勉強方法?

勉強方法なんて偉そうなものは実はありません。Y先生に教わったようにひたすら、問題集の問題を解きます。解けない問題は、とりあえず答えを覚えます。最後までやったら、また、最初にもどって繰り返す。それを3回目からは、すでに2回やって正解だった問題を飛ばし、間違った問題だけを繰り返す。そうして、4、5回繰り返してみると、どうも、確かに問題のかなりの部分を覚えています。日々アルコール漬けで物忘れの激しい私のような中年男でもです!

合った問題は○。そうでない問題は×をマーカー
で記入。2度3度と繰り返すと次第に○の数が
増えてくる……

一般的に第4級の試験では、よほどのことがないかぎり、新しい問題は出題されず、ほとんどの場合、過去の問題が(数値なども変えられることなく!)そのまま出てくることになっています。つまり、過去の問題とその解答を覚えていさえすれば、100点とれる仕組みなのです。これがミソ。だから、Y先生の言うとおり、理系音痴で人の名前を覚えることさえ苦手な記憶喪失気味な私でもやり方をしっかり押さえれば受かると言っていたわけです。

念のため、インターネット上の国家試験のシミュレーションのできるサイトで、シミュレーションをしてみます。いい感じ……。

そして試験日

こうして、1、2ヶ月がたち、いよいよ試験日です。

定員は先着順、200人で締め切るとのことで心配になり、日本無線協会に電話で問い合わせてみると、「このところ定員がオーバーすることはない」とのこと。であれば極端に早く行く必要はないと思い、45分くらい前到着を目指しまします。(ただし、書類の受付は15分前に締め切られますから、その記入などの時間を考えると、やや早めの到着が安心です。)

新宿から晴海までのバス(その後、四谷から晴海までと短縮されてしまいました)に乗ると、日曜日の朝ということで、それほど混雑してはいないものの、そこそこの数の若者が乗っています。ところが、なんとその大半が問題集を広げています。このバスの乗客のほとんどが受験者というわけで、ちょっとビックリしました。

晴海三丁目。後ろに見えるビルが江間忠ビル

試験会場は東京晴海。晴海三丁目で降り、停留所の目の前の「江間忠ビル」という変わった名前のビルに入り、会場の3階に上がります。さっそく受験申請書をその場で購入し記入。用意していた写真、試験手数料を支払い、受験となりました。

答え合わせをしてみると工学では12問中11問正解。法規では12問中10問正解。アマチュアの試験は一般に70%正解が合格圏内と言われています。というわけで、どうやら合格。ひとまず安心して1時間後の合格発表を待ちます。しばらく近所を散歩して戻ってきてみると結果が掲示してあります。自分の番号を見つけ、安心。たいした試験ではないとはわかっていても、なにせ十数年前には一度落ちた試験。心配で、1月に入ってからは休日なども勉強に費やしていたので、嬉しいものです。

江間忠ビルの2階で免許の申請書を購入、写真をもう1枚と住民票を用意していたので、その場でそのまま記入し、手数料とともに提出しておきました。

合格と開局

さて、後日、ラミネート加工されたカードサイズの免許証が届きます。無線の世界では、この免許証だけでは電波は出せません。もう1つ、無線局免許状が開局のために必要になります。

その後仕事が忙しく2ヶ月ほど何もできませんでしたが、3月になって、開局申請をすることにします。この時点で、HFの無線運用を実際にするのは、東京のマンションではまず無理と考えました。そこで、とりあえず島根に帰っているときにできればということで、島根県を無線機の常置場所に決め、開局申請の手続きに入ります。郵政省(当時)のインターネットサイトから、申請書のフォーマットをダウンロード。無線機の技適番号を記入し、提出します。例のY先生にも申請書の書き方を教わりました。慣れないお役所の書類は、やはり、自分一人では間違いも多いモノです。それでも実は、一つとんでもない間違いをやらかしてしまいました。局の種別を何のとまどいもなく「固定」としてしまったのです。このとき「固定」の意味がわかってなかった(爆)!!「固定」とすれば、それは「移動運用(例えば旅先などでハンディ機片手に無線をすること)」などができないなどということを思いもよらず、後日、再び申請をすることにになりました……。そう、そんなことも知らなかったんです。

3月下旬、待望の免許が届きます。コールサインは「JN4NQX」。これでいよいよアマチュア無線局の局長さんになれたわけです。勤務先で「局長」になるなんてのは夢のまた夢ですが、趣味の世界ではまごうことなき「局長」!ちょっいといい気分だったりします……。(笑)

そして第一声を出したのは……、なんとその後8月になってからのことでした(仕事が……ホント忙しかったのです。貧乏閑なし……トホホ)。

この後の無線の足跡は別項で……。

下記はY先生の本です。おすすめします!

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Posted by JA1AIM